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マンガ水木しげる伝
ゲゲゲの鬼太郎でお馴染みの水木しげるさんの自叙伝【のんのんばあとオレ】を読んでいます。
子守をしてくれたのんのんばあが話す妖怪が水木さんの原点だったんですねぇ。
もちろん水木さんの魂は、生まれてくれる前に何かを決めて
元々そういう話を受け容れる器として生まれてきたのでしょうが。
今まで教育畑にいることに拘り、見えない世界を実際に見ることをちょっとばかり避けてきた私ですが、今、なにか見えない世界の入り口に立っているように思います。
そういう時期に、【のんのんばあとオレ】に出逢い、その面白さと、妖怪がイキイキと実体を持っていた豊かな日本にもひかれました。【マンガ水木しげる伝】という本を長野のスーパーのなかの小さな本屋で見つけたのは、そのすぐ後。これはシンクロ(タオ=宇宙からのメッセージ)だと思って買いました。今、ちょうど水木さんの戦地での体験を読んでいるのですが、その体験のすごさに息が止まる思いです。食べ物もなく敵の攻撃と蔓延する病氣で命は危険にさらされ、人間の尊厳は軍隊式のやりかたですべてはぎ取られるというどうしようもない環境で飄々と生き残る水木さんのすごさ。。。どこからくるの?一瞬、フォレスト・ガンプを思いだす。
もし私がそんな厳しい環境にいたら、さっさと死んでしまったほうが楽だなんて思うかもしれないけれど、そうじゃないんだね。
あの極限状態のなかで、どんなに殴られても自分のペースで生きることを躊躇しない人間の存在は、ものすごいインパクト。水木さんの生き方は、子供時代のことも、戦地のことも私の常識を根底から覆すことばかりです。
もっぱら良い子であることに意識を向け、まわりの人のリクエストを読みとりながら生きてきた私にとって、怠けること・自分勝手な(と私には見える)行動を平氣ですること・人に迷惑をかけても氣にしないこと・自分の好きなことだけに集中すること・・すべてが私流の良い悪いでわければ、心の中にさざ波がたつことばかりです。
でも、水木ワールドにはそれを越えさせる力があるようです。良い悪いを越えてみれば、私の心のザワザワはなにに変わるのだろうか。

実は、私は水木しげるさんの絵はそう好きではありません。
ゲゲゲの鬼太郎は好きですしテレビで見ていましたが本を買おうとは思わない。
ネズミ男はとくに嫌い。
それが【のんのんばあとオレ】(これはマンガではありません)に出逢って、それが【マンガ水木しげる伝】に繋がったのには意味があったと今はわかります。
枠が壊れる瞬間って、こうやってくるんですね。
水木さん自身が妖怪や動物の類に思えるのは私だけじゃないですよね。
水木さんは戦地で出逢った妖怪(ぬりかべ)に命を救われたそうです。
我が友、なっちょんの漫画にでてくる動物たちも、私たち人間がどんなにひどいことをしても、ずっと愛してくれる。そしてその無条件の愛で私たち人間をまっとうな愛の道に戻してくれる。【越後屋小判】を読んで、
アホな主人を一途に思う健氣な猫に心揺さぶられ、我が猫たちにも過剰な期待をかけて、涙流して抱きしめて、ものすごく嫌がられたなぁ。。。。
それはともかくとして・・・妖怪もコンパニオンアニマルズも
私にそのまんまで愛することや、そのまんまで受け容れることを
体験を通して教えてくれているように思います。
さぁて、そろそろ【マンガ水木しげる伝】後半を読みます。
妖怪の愛の力でザワザワの先に行けるかな?
そういやネズミ男って半妖怪なんですよね。人間が混ざっている?

  【マンガ水木しげる伝】上中下 講談社漫画文庫
  【のんのんばあとオレ】  ちくま文庫
  【越後屋小判】 奈知未佐子著 小学館
| message from TAO | 14:26 | comments(2) | - |
ちきり伊勢屋
【ちきり伊勢屋】って落語があります・・あっ!これはオチがないから人情噺かな?
かいつまんでストリーを言うと伊勢屋伝次郎という質屋の若旦那が的中率100%近いという占い師白井左近に 「あなたは善良な人だが、あなたの父親や祖父の悪行によって死相が現れている。残念だが2月の15日には寿命が尽きます。」と明言され、運命だと諦めてカルマ解消とばかりに全財産を困っている人びとの救済につかいます。最後には自分も楽しまなければと、今までしてこなかった道楽をして2月15日は弔いを自分でだす。。。がっ!棺桶に入って待てど暮らせど死なない???結局、15日には死にません。でも全財産はとっくにみんなのために使い果たし 道楽や弔いに使った借金だけが残っている。乞食同然になって街をうろついていると死を明言した占い師の白井左近とであいます。もちろん伝次郎さん、白井左近に文句を言う。こりゃあたりまえですな。
ところが左近さんも御法度である人の死期を占った罪で江戸払いの身。そして伝次郎さんの顔を見て「いま、あなたには死相はありません。善行を施したので死相が消えたのです。あなたは80才まで生きますよ。」と言うのです。
その後、落ちぶれ果てて幼なじみと駕籠かきを始めた伝次郎さんは、かつて彼が100両という大金を与えて命を救った母娘と再会します。母娘はそのお金で心中せずにすんで、いまや、大きな質屋を営んでいる。娘はもちろん独身。伝次郎さんは、請われてその娘と夫婦になって質屋を継ぎ【ちきり伊勢屋】とかつての店の名前を再興して80才まで幸せにくらしました・・・
めでたしめでたし。。。というのが【ちきり伊勢屋】

で、【未来が変わる】ということに関して・・・
ヒプノシスでは子供時代や過去世に戻るばかりではなく未来にも行きます。もちろん自分のイメージです。でもある人たちは未来に行くのを怖がります。「もし未来にいって酔っぱらってドブにはまってのたれ死んでいる自分が見えたらどうしよう・・・」ということのようです。
まぁ、そんな悲惨でなくても、余りよいイメージがでてこなかったら嫌だ・・・
そりゃ誰でも恐いですよね。で、なぜ恐いかというと、その未来は変えられないと思っているから。未来は固定されていると思っていれば、自分の将来の姿が見えて、しかもその結果があまり好ましいものでなかったら生きていくのは嫌になりますよね。当然です。
NHKでやっていた【新撰組】だって、どんなに三谷幸喜さんが明るい楽しい人間関係の青春物語として描こうと、次第に暗い影がおち、氣のいい若者たちが最後にはおおかた死んじまうのは史実としてわかっているんですから・・・みたくなくなります。
がっ、ヒプノシスの考えかたは違います。選択可能な無限の数の未来がある・・と考えます。
でクライアントにこう伝えます。
「実はあなたの未来は無限にあります。ドブにはまってのたれ死んでいる未来は今のあなたの心のままであれば100%見事に実現することが可能です。でも、もしあなたがその未来とは別の、もっと幸せを感じる未来を今ここで選択するのであれば、そして・・これが肝心なんですが・・その未来を選択したことによって、あなたの心に浮かんでくる直観に従って行動するのであれば、あなたは、あなたが望む未来に確実に行きつきます。」ってね。
もし有能な超能力者が「○月○日に富士山が爆発する」と言えば、その時点では富士山はその日に噴火するんです。ほんまです。でも、その時点からたった1人の人の心に愛が広がっただけでも未来は変わる。富士山は噴火しません。弓を的に射るんだって、最初の時点でほんの1ミリ誤差があるだけで中心から大きくはずれるわけですから。まぁ、そう思ってみようよですが。
私たちは一瞬一瞬パラレルに並んだ無限の未来の画像のなかの1つを自由意志で選択できるのだと思います。伝次郎さんは、15日に死ぬという未来を多くの人たちの幸せに貢献し、自分も人生を楽しむという心の状態を選ぶことで素晴らしいパートナーと一緒に80才まで幸せに生きるという未来を選びなおしていたのでしょう。
 
さて、みなさん・・・未来は自分が選択するものだとしたらどんな未来を選択しますか?あっちょっと待って・・その前に、まずは心の奥底で今どんな未来を選んでいるのか・・・ここから見ていかないとね。自分が選んでいるものがわかると選択肢ができる。そのままを選び続けるのか、はたまた違う選択をするのか・・・。だから自分がどんな思いを抱いているのかに氣づくことは大切ですよねぇ。
自分のことをだたひたすら観続けると「あ〜〜だから辛いんだ。」とか「なるほど、こうなるって最初から自分で決めていたんだ。」とか「Aさんは苦手な人なんかじゃなくて、ほんとは好きになってもらいたいんだ。」とか目から鱗がおちる瞬間があります。AHA!体験ですね。
自分の思いをしらないで生きていくのは暗闇を明かりなしで進むようなもの。もちろん明かりなしで歩くのが好きなら、それもよし。明かりを持ってくつろいで生きるのもよし・・宇宙はどの選択をしても、その私たちをそのまんまで愛してくれるから。
 
【未だ来たらずの瞬間】である【未来】は毎瞬【今】となって【ここ】にきます。そして今がどんな状態でも、どこからでも、いつからでも選択と決断をしなおすことができるわけです。私たちは自らの未来を変えるチャンスを毎瞬毎瞬手にしているってことですよねぇ。
氣づき(AHA!)は魂が喜ぶ方向に自分の人生を選択しなおすチャンスをくれる宝物ですね。ありがたい!      
        ♪♪ AHA!はTAOからのメッセージ ♪♪
 
| message from TAO | 12:38 | comments(2) | - |
同行二人
今までの人生、ハードな時や辛いときに
いろんな人から面白い話をたくさん聴きました。
その話(エピソード)で救われたり、辛い体験を笑えたり・・
楽に生きるコツがつかめたり・・・
でも、なにせ私に届くまでも伝言ゲームのように伝わってきたらしく
その原典は不明。元の話からは遠く離れているのかもしれませんね。
でも話のエッセンスは確かに伝わっているって思うんです。

で、私がとっても好きな話・・・
  ↓
人生を終えた男が神さまと一緒に浜辺を歩いている。
「今世はおまえも私もよく頑張ったね」なんて神さまが労をねぎらっている。
「ほら、後ろを振り向いてごらん。」といわれて男が後ろを振り向くと
2人が歩いてきた足跡がくっきりと砂の上に残っている。
「ほんとですねぇ。これが私たちの歩いてきた足跡ですね。
いつも一緒に歩いてくださったから私もこの辛い人生を乗り越えられたんです。
そう、いつも一緒に・・・んっ???あれっ?ちょっとちょっと神さま・・
あそこあそこ、ほら、あそこんとこ1人分の足跡しかないんじゃありませんか?」
「あ〜あそこね。そうそう、あのときはおまえが一番辛かったときだよ。
にっちもさっちもいかなくて、自殺まで考えたときだよ。」
「えっ!じゃなんですか?あの一番辛かった、あのとき、あのときに神さま!
あなたは一緒に歩いていなかったんですね。あ〜だから、あんなに辛かったんだ。なんてこった。私はあなたを信じて歩いてきたのに!」
「オイオイ。ちょっとよくみてごらんよ、あの足跡を。」
言われて男が1人分の足跡を、じっくりと観てみると
なんと他とは足跡の深さが違う。
「あれっ?あの足跡??」
「そうさ。あのときは私がおまえを負ぶって歩いていたんだよ。」

私たちが辛いときには宇宙のバックアップが一番ある時・・・
こんなふうに思うだけでホッとします。
もし、私たちが自分の課題を自分で選んで
その学びに適した環境を宿命として選択し
魂の学びの旅に出たのだとしたら
私に乗り越えられない辛い体験などあり得ない。。。。と
思ってみようよ・・・です。
同行二人は四国巡礼の言葉ではなくて
私にとっては私たちの日々の生活のなかの言葉。

長野に旅行に行って、ある神社の奥社まで歩いていった。
2時間くらいの行程なので、まずは飲み物確保・・・と思ったら
なんと売店の自販機はほとんどが完売。唯一残っていたのは
コ○コーラのカンボトル。ん〜〜買うべきか・・・でもこれだけだし・・・
歩くのに炭酸はなぁ・・・でも糖分は必要か・・・
で、結局文句いいながら買いました。
そして出発!ところがすぐに標識が・・・「熊出没注意」
がっ・・白州も熊はほとんどでなくても1カ所くらいはこの標識がありますから
まぁそんなもんでしょ。。。と思っていたら
次々と【熊の親子が目撃されています。みかけても近寄らないように】
【熊出没中です。声をだして話し続けたり鈴やラジオで音をだしましょう。】
の注意書きが・・ほんまなのね。冗談ぬき。
鈴もないしラジオもないので夫のwolfさんと話し続ける以外はないか・・・
と、その時に突然、wolfさんが落ちていた枝を拾ってコ○コーラのカンボトルを
叩き出しました。これがアフリカンでいいんです。さすがドラマー。
wolfさん曰く「この音は遠くまで響くよ〜。」・・確かに。
その時にわかった・・・コ○コーラのカンボトル以外が売り切れていた理由。
他はすべてペットボトル。音は響かない。
こういうときに同行二人を感じるのです。えっ?そんなことで?
そうなんですよ。あ〜〜いつでも知らないうちに導いてくれているなぁ。
いつも見守ってくださっているなぁ。そして、いつも助けてくださるのだなぁ・・・
まぁ、そう思ったっていいじゃないですか。
私の同行二人はこういうことなのです。

今、この時間、衛星放送で【千の風】の特番をやっています。
我が最愛の猫、タオが一発瞬間芸のような死に方をする前日に
私がたまたま図書館で借りた河合隼雄さんの〈ユングと仏教〉の
最後のページに、この詩はありました。

私のお墓の前で泣かないでください。
私はそこにはいません。

これはタオの声。そして同行二人の宇宙の声。
この詩で私もwolfさんも涙から笑顔になりました。
人生のなかで、たいしたことない困ったことも
にっちもさっちもいかない、とてつもなく困ったことも
宇宙が道を照らしてくれる・・・これが私の同行二人。
こんな幸せなことってあるかしら。
| message from TAO | 21:08 | comments(8) | - |
ダイアローグインザダーク
昨日の夕方wolfさんと、もう1人の友人と
ダイアローグインザダークに参加してきました。
目が慣れることのない、光のまったくない空間を
盲目のアテンダントの声と自分自身の持つ杖と手や足の感触を頼りに
いろいろな環境を楽しむ1時間ちょっとです。
1グループ8人で動くのですが、お互いに声を掛け合い
自分の発見したものを伝えあい、今、自分が何をしているかを
声にだしていきます。
そうしないと、ぶつかったり離ればなれになるばかりでなく
十全にその空間にあるものを楽しめない。
コミュニケーションをとればとるほど、その空間で
自由に遊べるということです。
詳しいことを話すと、これから参加する人や
来年度に参加する人の体験をディスカウントしてしまうといけないので
内容はこれくらいね。
で、すごく楽しかったです。○○が右にあるよ・・と言われても
その人の右は私にとってはどこなのかわからんし・・・
身体が触れたときには、まずは自分の名前を名乗って
そして「あなたは誰?」と聞かないと
自分が足を踏んづけた相手が誰なのかもわからん。
相手の人の意見に賛成でしっかりと頷いても
言葉にださないと暗いなかでは伝わらん。
暗闇でのコミュニケーションは、目が見える時とは
まったく違う思いやりが必要になってきます。それが面白い。
【暗闇での対話】ダイアローグインザダークの名の通りですね。
暗闇ではありますが空間そのものは守られていることはわかっているし
アテンダントの人もいるので、まったく心配も不安もありませんでした。
それより、自分の手や足で何かを発見するたびに嬉しい。
人とぶつかっても、その人と親しくなったようで嬉しい。
暗闇で助け合っていると、初対面の人たちですら
ずっと以前からの仲間のように親しみを感じる。
最初に何かに氣づいた人が、それをシェアして
前に進むのが楽になる。たくさん助けてもらいました。
人生もこんなふうに生きられたらなぁ。
宇宙と魂が決めたことを信頼して
人とぶつかっても感謝して、自分が氣づいたことを喜び
人に伝え、人の氣づきを素直に感謝して教えてもらい
辛い時期には、知らない同士でも助け合い
信頼しあう。ん〜〜できるかなぁ。でもいいなぁ。
始まる前に、注意事項や簡単な説明をしてくれた若いスタッフが
「緊張していますよね。深呼吸しましょう。
だんだん緊張してきているんじゃないですか。大丈夫ですか?」
と言ってからアテンダントにバトンタッチしました。
「大丈夫ですよ〜〜。充分に楽しんできてくださいねぇ。」って言ったら
また違うスタートを切る参加者もいるだろうな。
私にとって、ダイアローグインザダークの心地よさは
暗闇を見る喜び。目を閉じている状態とは確実に違う暗闇を見る感覚。
目をしっかりと開いて、真っ暗を見つめる。
暗闇は見たいものが見えない状態ではなかった。
暗闇が見える体験。暗闇を見ること楽しむと
暗闇はとても美くしくて、安心で暖かい。
実は、その他になにも体験しなくても
暗闇を見るだけで私はきっと満足したと思う。
そのくらい暗闇を見ることは素晴らしかった。
感謝!
| message from TAO | 11:10 | comments(4) | - |
精霊流し
我が家は地上波が入らないのでBSデジタル放送を見ています。
NHKなんかはむっかしぃの連続ドラマなんかをやっている。
つい先日まで、さだまさしの【精霊流し】をやっていました。
自叙伝風ではあっても創作の小説だとわかってはいるんですが
あまりにさだまさしらしき主人公ばかりがいい人間なので
みていて恥ずかしい・・・ので、ちゃんとは見ませんでしたが
長崎の精霊流しの明るさとにぎやかさにはちょっとびっくり。
お祭りなのですね。
【精霊流し】というさだまさしの歌がエンディングで流れました。
昔よくきいた曲です。 実は私はその頃はさだまさしが好きで
彼の曲はよく聴いていたんです。ふふ。
♪〜〜運がいいとか悪いとか〜〜♪っていう
【無縁坂】の歌詞が頭に浮かんできて
突然『運』てどういう意味だろうと思って漢和辞典を見てみました。
語源は『円』のことで、ぐるぐるまわる・・から
はこぶ・・うごく・・・まわりあわせ・・と意味は続きます。
で幸運はあるけれど不幸運てぇのは聞かない。
つまり人間には幸せな巡り合わせってぇのはあるが
不幸な巡り合わせはなくて
それは単に動いていない時期=不運なのか・・と思ったわけです。
動き始めれば、それはすでに不運ではなくて運。
幸運に向かって動いている。
実体験としてわかるような氣がします。
運がいい=エネルギーが動いている
運が悪い=エネルギーの動きが悪い・・滞っている。
30代の前半、めちゃめちゃ精神的に落ち込んだときがありました。
氣づきのセミナーに参加して、その最終プログラムを受けていたときでした。
線路を見ながら飛び込まないことは自分でもわかっているのですが
「飛び込んだら楽だなぁ」なんて考えていたこともありました。
1週間、そんな状態が続いていてから
ある日「身体を動かそう」と思いました。
プログラムでは自分が決めた宿題を毎日やることになっていましたが
それも、すっかりやめていました。私が自分で決めた課題は
毎日30分のデタラメダンス。それを再開しました。
その日から、氣持ちがどんどん変わっていったことを思いだします。
セミナーに参加して、いままで表面に現れてこなかった
私のなかの女性性が突如あらわれました。
私は私のなかのその女性的な部分にすっかり魅了されて
今までの男性的な私を嫌い、引っ込めてしまったのです。
落ち込みの原因は、そのために起こったアンバランスな状態でした。
ダンスを再開してから、今まで私を助け前に進ませてくれていた
自分のなかの男性的な部分を再び愛し始めました。
そんなときに参加したゲシュタルトのワークショップで
部屋のなかにあるものから1つを選び、それを名前を言わずに
相手に伝えるというエクササイズをしました。
私は、その部屋にあったカラオケのテープ(当時はテープでしたね)が
しまわれている大きな木の箱を選びました。
カラオケテープの箱の右側には新しい曲が
左側には昔の曲が並んでいました。
「それは木でできています。ちょっと大きくてモノを入れることができます。
今もいろいろなものがはいっていて右側には新しいものが
そして左側には古いものが入っています。そのどちらも私は好きです。」
というようなことを伝えました。
トレーナーの人が「では、今選んだものを自分だとして話してください。
もし雑巾を選んだのならば、私は雑巾です。汚いところを私は掃除して綺麗にします。という感じです。」と指示しました。
「私はカラオケテープの箱です。私には新しいものと古いものが入っていますが
そのどちらも私はとても好きです。」といいながら、涙が止まらなくなりました。
男性的な私も女性的な私も私のなかにあり、その双方が私にとって大切なのだと
心も魂も同意した瞬間でした。
そのワークショップから、私のなかの男性的な部分は遠慮しないで
再び自由に現れるようになりました。そして女性的な部分も。
ある日、長年の友人と話をしているときに
彼女が突然、流産をした話をし始めました。その話を聴いていて
彼女の心の痛みが伝わってきて涙が流れました。
「どうして今まで、そのことを話してくれなかったの?」と聞くと
「いままでのあなたは、こういう話をしてもわかってくれそうになかったもの。」と言われました。そうだったのかぁ。
自分じゃぁ、それまでもやさしくて心暖かい女性だと思っていたんですけれどね。
そういや、結婚式の二次会に来てくれた初等科の生徒は口を揃えて
「恐かったです。」と言っていたな。おかしい。
優しい先生だと私は思っていたのに。
でも、その恐い強い先生も好きなのですよ・・私は。
江戸っ子ですから。ケンカも好きだし。ケンカすりゃ勝つ自信あるし。
精霊流しは新盆の人の魂を西方浄土に送るお祭りだそうです。
新たな魂の旅立ちが精霊流しであるのなら
あのセミナーは私の精霊流しのお祭りだったのかもしれません。


| message from TAO | 01:10 | comments(0) | - |
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